のんべんだらり -344ページ目
<< 前のページへ最新 | 340 | 341 | 342 | 343 | 344

みなさん有難うございます


 私の疑問に丁寧に答えてくださった方(ベラドンナさんと「兎に角」の方)、本当に有難うございました。m(__)m 色々勉強になりました。でも使いこなすのは結構先のことになりそうですが・・・。(苦笑)
 そして私の過去の記事にコメントを書いてくださった方(あきの徒然なるままにさん)、トラックバックなるものがどういうものなのかよくわからず、どこにお返事を書けばいいか分らず今困ってます。でもでも、その「理解してみよう」と思ってくださる気持ち、それが一番嬉しいんです。パソコンのことも全くといっていいほど分らない私に何が出来るかと言えば大きな疑問ですが、でも、こうして「全く知らない人」から「少し知った人」に変わってもらうこと、これが一番だと思ってます。本当に有難うございます。コメントが直接かけなくてごめんなさい。m(__)m

ためさせてください

テスト。どうかうまく大きくなっていますように。

教えて下さい。m(__)m


 どなたか教えてください。
 どうすればブログの文字を大きくできるのでしょうか? 時々、文字を拡大して出ているブログを見ますが、私にはその方法がわかりません。
 「弱視」の人間です。「日記をかく」で文字を入力すると小さくて大変。なので今はwordを起動させ、そこに文字を拡大して入力し、それをコピーして載せてます。それにこのブログ、同じ障害を持つ人にも読んでもらいたいと思ってるのに、字が小さいとよみづらいだろうし・・・。ご存知の方、そして、レベルをぐっと下げてその仕方を説明できる方、コメント待ってます。
 よろしくお願いします。

私の愛するふるさと・京都


 昨日、京都検定なるものが行われたそうです。京都出身の私。すごーく興味を持っています。今朝のニュース番組で4.5問例題として紹介されました。挑戦してみましたが、出来は「うーん、あんまりよくないなぁー」って世界でした。4択とはいえ、なかなか難しいものです。
 京都出身だから京都をよく知っているというわけでは決してないと、ここ関東に来て実感しています(京都にいてるときでも実感はしてましたが、より強くそう思いました)。ある意味、「すぐに行ける」という気持ちが寺社仏閣めぐりを遠ざけ、美しいはずの京都の春や秋を「頭を見に行くだけ」と敬遠してきたように思います。しかし「祇園祭に浴衣を着て彼氏と行く」これだけは、京都の女の子は実行するような気がします。だってこの出不精の私ですら「そのとき」は張り切ってそうしたんやもん!!
 受験はしなくても「京都出身」と胸を張って言えるよう(今でも十分に胸を張って言うてますけど・・・)、こそっと勉強しようかなぁーと今朝思いました。

お茶


 「お茶」を2年ほど前から始めました。きっかけは「着物が自分で着たい」で、たまたま近所に着付けを教えていらっしゃる先生がいることを知り、そこへ通うようになり、たまたまその先生がお茶の先生でお茶も一緒にすることとなりました。もともと茶道には興味があり、中学と高校で茶道部に入ってました。が、今回の茶道は流派が違い、また一からの出発でした。
 お茶をする上でちょっと困ることの一つ、それはお水やお湯を柄杓を使って注ぐことです。一番初歩のお点前では鉄瓶をお茶碗のすぐそばに持ってこれます。が、少し上達するとお釜からお茶碗まで柄杓を使ってお湯やお水を運ばねばなりません。「こぼしたらどうしよう」という不安の元、ドキドキしながらいつもお点前をしています。また、「音」を楽しむためお水やお湯はお茶碗から離した位置から注ぐことをよしとします。でもそれって勇気がいります。自分とお茶碗の距離で何となくみえているだろうお茶碗の位置(私は遠近感を取る事が非常に苦手です)に、上から水をいれるなんて・・・(つまりダブル遠近感を使うんでしょうねぇー)。が、ベテラン弱視者の私。「慣れ」と「勘」でなんとか事なきを得ています。でもやっぱり2.3回はお湯を畳にこぼしたのを覚えてます。そんな事をしても、先生や一緒に習っている仲間は嫌な顔をせず、それどころか「大丈夫よ」と言って下さり、布巾を手渡してくださいます。それが嬉しくて・・・。
 また、茶道はお茶を点てるだけでなく、掛け軸・焼き物・塗り物の拝見と「目」を使うことが多いものです(しかも、「触れない」し、近づけない)。私、個人的にはまだまだその掛け軸や焼き物・塗り物に興味は持てません(というか、掛け軸は遠くからまず読めない、焼き物や塗り物は柄がはっきりとみえづらいのでよく分らないというのが正直なところです)が、お茶を点てること、これはとても好きです。みえづらくったって茶道は楽しめると私は勝手にそう思ってます。
 お茶に限らず、全てに関して私は「慣れ」「勘」で日常生活をしてきました。もちろん、これからもそうなるでしょう。そんな私が初めての場所でお茶会をするなんて、すごい恐怖です。今年はまだまだ新人ということで「お運び」だけでしたが、それでもやっぱり緊張しました。そして日ごろ助けてもらっている仲間にしっかりサポートしてもらって楽しく過ごせました。もちろん、そのお茶会のある場所に行くのも皆さんに助けてもらいました。ありがたいことです。
 昨日、そのお茶のお稽古がありました。
 ふとこんな趣味のことも書いてみたくなり、書いてみました。
 お茶のみならず、着付けもなかなか、見えにくいと大変ですが、これも手の感覚と「勘」で何とかかんとか乗り切っています(自分ではそのつもりです)。
</青

ある友達に寄せて


 みなさん、こんにちは。
 いつも「こうしてください」というお願いのブログになってしまうので、今日はある友達の温かい言葉をふと思い出したので,
それを書こうと思います。
 前回のブログで「風邪をひいてしまいました」と書きましたが、一日家事をお休みして、元気を取り戻し、先日、夫と那須へ旅行に行きました。そこでこの友達の言葉を思い出したのです。
 とある土産物店に入ろうとしたとき、大変見にくい階段がありました。どういうのかというと・・・。「手すりなし」「滑り止めなし」のものです。見た目には「美しい」「綺麗」「統一性がある」と思える階段かもしれませんが、私には非常に見にくいものです。もっと分りやすくいうと「石だけ」「レンガだけ」という単色の階段です。その階段を見て私、夫に一言。「帰り(下り)は宜しくぅ。これ非常に見にくいしぃ」と。そのとき思い出したのです。ある友達が「この間、友達と(彼女のです)買い物に行ったとき、すごい見にくい階段があってなぁー、私、思わず、その子に言うてしもたぁ。『こんな階段みたらちゃみちゃんは、いやぁーみにくいって叫ぶわぁー』って。最近、こういう階段をみるといつもちゃみちゃんを思い出すねんかぁー」って私に報告してくれたのです。何が嬉しいって「私を思い出してくれたこと」もさることながら、まったく私を知らない人に「世の中にはこういう人間もいる」と知らせてくれたことです。そうして「知って」もらうことこそが「改善」につながると私は信じているからです。この場をかりて改めて「有難う」をその子に贈ります。m(__)m m(__)m
 私は本当に幸せな人間だと思います。この子を始め、私の友達は実に私を上手にエスコートしてくれます。どんなに話が弾んでいても、段差がくれば「ちゃみちゃん、段差。右手に手すり」と言ってくれます。夫もようやくこのエスコートになれてくれたみたいです。一番下手なのは案外「親」かもしれません。(苦笑) でも私はそれでいいと思ってます。いくら親や身内が私のことを詳しくなっても「外」へは広がりないから・・・。友達や夫・そしてそのまた友達に「こういう人もいる」と知ってもらうことが大事だと思ってます。
 そうそう、段差関係では会社の社員専用口にあった固定されていない「ステップ」に「手すりを付けるか固定してください」と言った私の願いをすぐに聞いて、固定くださった私の働いていた会社の人事部にも改めてこの場を借りて「有難うございました」と申し上げ、今日のブログを終ります。

そ、そんな事、私頼んでへんえー!!

最近、朝晩がめっきり肌寒くなり、暑い日の後にこういう天気になると体調を壊しやすいですね。
 みなさんは風邪などひかれてませんか? という私。実は風邪ひきさんです。そこで今日は先日行った病院での驚きと戸惑いを書いてみたいと思います。
 先日、とある病院に一年ぶりに行きました。その病院、今年の四月に新しい診療科を増やし、リニューアルしました。私はリニューアル後初めてその病院へ行ったのですが、あらびっくり!! ハイテク化されてました。受付がタッチパネルによるコンピューターでの受付に、そして、予約もパソコンから出来、現在何人の患者さんが待っているかもパソコンや携帯・待合室のモニターで分るようになっていました。確かにこうなると便利ではあります。が、しかーし!! 
 ここで私には問題というか、不安がまた生じました。今回は初めてということもあり、病院の方が診察券作りのついで(といえば失礼ですね)に自動受付をしてくださいました。でも次回からは私がしなければなりません。何が不安か。問題はタッチパネルにあります。わたしたち弱視の人間は多くの場合、見ようとする物に顔を近づけて見ます。それが問題なのです。タッチパネルに「触る気がなくても」何かが(例えば洋服であったり、帽子のつばであったり・・・)ふれてしまい、結果としてエラーとなることが多々あります。このことがまさに前号で前振りをしていたことでもあるのです。   
 最近では、銀行のATM、電車の券売機、はては自動販売機までもがタッチパネルになってきています。私はとても悲しいです。タッチパネルもまだ見やすいものならいいのですが、見にくいものだともうお手上げです。
 そこでお願いです。タッチパネルの機械「だけ」にしないで下さい。特に券売機。そしてATMについては、何とかどの銀行も「同じ仕様」のもので統一はできないでしょうか? それぞれの銀行で項目の並びが違うとそれを「覚える」のが大変です。もちろん、見やすい画面・そうでない画面の銀行とあるのも事実です。私が一番操作しやすいのは「郵貯」です。郵貯はタッチパネルと突起したボタンがちゃんと付いていてそのボタンもバックが白で黒字と見やすい、そして点字がそのボタンの隣についているからです。私の視力は0.05前後をふらふらしていますが、この視力よりも低い視力の友達に先日「お金おろすのどうしてる?」と聞けば「親に頼んでる」と言ってました。そして親に頼めなくなったら銀行の窓口にいくしかないなぁーとも言ってました。もしATMの仕様が統一されていたら、ひょっとしたらこの人も自分で操作できるかもしれないし、点字が付いていたらなお安心でしょう(かくいう私。点字は全く分らないのですが・・・)。どうかみんなが便利に使えるIT化であることを切に祈ります。そしてそのための経費は少しは国や自治体が補助してくれればとも思います。私たちも「自分でする」努力を忘れないようにと肝に銘じておきましょう。
 また長話になりました。ではみなさんも風邪などひかれませんように。

あ、行き過ぎたぁー!!


今日は「ちょっと笑える」でも本人にとってはすごーく深刻なお話をしましょう。
みなさんは「初めて」行く場所に不安はありますか? 私はすごい不安です。何がって「ちゃんとそこのドアを開けられるか」っていうことです。ドアの開け方が分らないってことじゃなくて(おいおいそんなこと聞いてないっちゅうねん)そこへ辿りつけるかってことが不安なんです。
そこでみなさん少し考えてみてください。
初めて行く場所へどうやって行くかを・・・。地図で下調べをし、だいたいの地図を頭に入れ、現地ではその地図とその場所を突き合わせて目的地へ行きますよねぇー。そのとき「道路標識」や「看板」はすごい手助けになるはずです。が、しかーし、私にとってはそれは何の意味もありません。だって「みえへんもん!!」(>_<)。つまり道路標識や看板がいくら大きな字で書いてあったとしても、私にはそれを読むことができないということです。看板や道路標識は私の目の高さよりも高いところにあります。その「距離」で私には見えません。だから不安なんです。
今まで、そしたらどうやって色んなとこ行ったん?っていう疑問が出るでしょう。
その答えは「予行練習」です。「私の目」になってくれる人とともに歩く道・電車の料金の下調べ・段差の有無を研究するのです。そして当日、何事もなかったかの様な顔をして現地へ行くのです。そうして中学・高校・大学・会社の試験を受けて来ました。面接官には「はい、一人で来れます」ってにっこり笑って言うのです。(^_^)v
ところが!!!! 困ったのは結婚してからです。私は結婚して故郷を遠く離れ(関西人が関東に進出!!)、頼るは旦那一人のみとなりました。普段はいいのです。問題は病院へ行くときです。旦那は会社。私一人で行かねばなりません。地図を見て、大体の地図を頭に叩き込み(何筋目を右とかそこからどれくらいとか、どこまで行ったら行きすぎとか)いざ出陣。そして悲しい結果は4.5回起こりました。あとで旦那とその道を辿ると「いやー、ここで合ってたんやぁー」ということになりますが、通り過ぎるのです。その目的地の前を何度も何度も通っていても、看板が目に入ってないから通り過ぎる。最終的には笑ってしまいます。本当に・・・。
そこでお願いがあります。
どうぞ看板は「目の高さ」にはっきりとした色のコントラストで表示して下さい。そしたら「通りすぎる」のも減ります。そしてもし「すみません、私目が悪いのですが」という前振りの後、道を聞かれたら「あっち」と指を指すだけでなく、「ちょっと親切すぎ?」と思うくらい親切に言ってください。だってその「あっち」って指してくれてるはずの指が私には見えないのですから・・・。そしたら道路説明のあと満面の笑みとともに「有難う」という答えが返ってくるはずです(そんなもんいらんなんて言わないでねぇー。だって笑顔を売っている店もあるんだから)。
そういったちょっとしたことで「一人歩き」をする勇気が、私に出てきます。今の私は旦那に車でどこかへ連れて行ってもらえますが、自分で行動できる範囲は、関西に居るときよりもはるかに少ないです。それもこれも分らないからです。自分で「制限」してしまってるところもありますが、「一人でも大丈夫」と思えるような「道路」で「社会」であって欲しいなぁーと思います。そして人も・・・。もちろん、私たちも丁寧に教えて欲しかったら自分の状態をきちっと伝え、「普通ではわかりづらいのよ」って理解してもらう努力・親切にしてもらった後にはちゃんと感謝を示すことは必要ですが・・・。
こんなところで今日のブログを終ります。
PS 本当はこれ2度目のブログの書き込みです。なんでって・・・。一度目は普通にブログのページ書いてましたが漢字のミスをチェックしているときに、あまりの字の小ささに目が疲れ、近づきすぎた事により、無意識に何かのボタンをさわり、消してしまったからです。(T_T)(T_T) そんなことはよくあることですがちょっと悲しかったです。次回はそんな話をしましょう。

おめでたい話題

おはようございます。昨日の夜、紀宮さまがご婚約されたことを知りました。最近、明るい話題がないので、こっちまで嬉しくなってしまいました。どうぞ末永くお幸せに。

初めの一歩

みなさんは「弱視」という言葉をご存知ですか?「めがねやコンタクトレンズで矯正の利かない」ちょっと「視力の低い」人のことをさします。「目が悪い」「視覚障害者」という言葉を聴くと「全く見えない」という事をイメージしがちですが、世の中にはこういう「弱視」という存在の人が結構たくさんいます。その「弱視者」の一人として、ふだん思っていることを少しずつ書いてみたいと思います。あくまで「普通に」生活してるなかで「もし、こうだったら私たち弱視者は生活しやすいのになぁー」って思うことを書きたいと思います。そうすることで街で見かけた困っている弱使者に「自然に」手がさしのばされたり、理解されたりすることを期待しています。あくまで「自分で出来ることは自分で」をモットーに育てられ、生活してきたベタベタの関西人の気ままな日記です。
<< 前のページへ最新 | 340 | 341 | 342 | 343 | 344